不妊の「語られ方」が変わってきています。以前は、マスメディアで取り上げられるのは新しい治療法などが中心で、当事者の声も「こうして私は妊娠した」などの成功体験がほとんどでした。
それが、個人のSNSなどでの発言を通じ、苦しさや生きづらさといった当事者の生の声が語られるようになりました。メディアも、不妊を「誰にでも起こりうること」として取り上げることが、少しずつ増えています。
それでも、不妊当事者の声はまだ小さく、多くの人にとってひとごとである状況は続いています。ネット上に漂い流れる「語り」は、残念ながら当事者以外にはなかなか届きません。当事者が安心して語れる場が必要であり、受け取る相手がいることが大切なのです。
私はカウンセリングを通して、「不妊の語り」は決して特別な人の「特殊な語り」ではないと学びました。親になるとはどういうことか、家族の成り立ちやかたちについて、子どもの価値とは何か、「不妊の語り」に耳を傾けることは、私たちの社会を考えることなのです。
そして、「当たり前」「普通」とされていることを見直すことで、私たちの社会が、不妊当事者だけでなく、すべての人にとって生きやすい社会になることを期待しています。
私はこれからも、カウンセリングルームで「不妊の語り」を聴き続けます。その方の生殖物語がより豊かになるような聴き手を目指して。そして、社会全体が、よい聴き手になることを願っています。
※本記事は、以前読売新聞に連載したコラム「不妊のこころ」を再編集したものです