仏教用語に、愛する人と別れるつらさを意味する「愛別離苦(あいべつりく)」という言葉があります。愛する人との別れは最もつらい経験の一つで、生きている限り誰しも避けて通ることができないものです。愛する人を失う体験をした人は、喪失を悲しむという苦しい作業をやりぬき、その人がいない世界を受け入れ、生き続けなければなりません。
実は不妊も、喪失体験の積み重ねといえます。生理周期の度に、あるいは治療がうまくいかないたびに、授かるはずだった子を失う体験と考えるとわかりやすいかもしれません。愛するお子さんを失った家族がどれだけつらいかは、誰でも容易に想像できるでしょう。でも、まだこの世界に誕生していない、心の中だけに存在していた子を失う不妊体験は、それが喪失だと認識されにくいため、悲しむことを自分に許すことが難しく、他人からも認めてもらいにくいのです。
「ずっと、つらいって言っちゃいけないと思ってた。私、泣いてもいいんですね」とカウンセリングの場で初めて、悲しみの涙を流される不妊患者さんは少なくありません。「すぐに次の治療を」「早く立ち直らないと」と、悲しみに浸ることができない環境にいると、いつまでも悲しみは癒えません。心の回復が遅れてしまい、深刻な精神的問題につながってしまう危険性さえあります。
不妊による喪失は、目に見えませんが、悲しむべき喪失だと、不妊の方も、周囲も正しく認識し、しっかり悲しむことの重要性を理解してほしいと思います。
※本記事は、以前読売新聞に連載したコラム「不妊のこころ」を再編集したものです